あらゆる角度から『魔法先生ネギま!』を斬る!!つもりのブログ、のはずだったが最近はその趣旨からかなりずれている。マンガ全般について扱っているつもりのブログ。でも「ネギま!」のことは忘れないブログ。
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 お久しぶりです。4年前に生存報告をしたままずっと放置していました・・・

 というわけで赤松先生の新連載である「UQ HOLDER!」がスタートしました。今作は「ネギま!」のネギ先生の孫であ(ろうと思われ)る近衛刀太が主人公の物語で、ヒロイン(?)はこれまたネギまにも登場したエヴァンジェリン。世界観はそれ相応に共通しているようです。設定の使い回s
また、ネギ先生が既に鬼籍に入っていることからネギまに登場したキャラクターの存在についてはお察しくださいというところでしょうか。冒頭のカラーページでもそれっぽい描写があったので・・・
あ、でも相坂さよは最初から幽霊だったので彼女なら再登場ワンチャンあるかもしれないと思っていますが、そこはどうでしょうか。やろうと思えば前作のヒロインたちをみんな幽霊にできるんじゃね!?(

 戯言はさておき、改めて新・連・載!であります。『AIとまもラブひなもネギまも読んでないよ~_(:3」∠)_ 』という方もウェルカムなのであります。過去の作品は興味が湧いたら後から読んでいただければよろしいので、とにかく最初の第1話でどれだけ新規読者の興味関心を引くのか、という点が重要になります。
私も心と頭を空っぽにして読んでみたのですが、カラーページのこいつら誰かな~とか、いきなりよくわかんない呪文詠唱&ルビがあるな~と思ったぐらいで、それらさえ気にしなければとりあえず主人公が不死身で不老不死になっちゃって、ヒロイン(?)も不死身の不老不死の吸血鬼だったという設定を念頭に置いて読めばいいだろうということは充分に印象づけられたのではないかと思います。
てか82ページも使ったんだからそれぐらいはできないと

 無論、これからどういう展開になるのかなんてことはまだわかりませんが、主人公格2人が不死身&不老不死であるということから、それが故の葛藤や苦悩を軸に据えて物語が展開されるのではないかと予想はされます。第1話のキモはまさにこの点で、刀太は絶対に死ぬということはあり得なくなりました(仮免許→絶対)。まさしく「悠久」の命を手に入れてしまったわけです。
 一応、本人の意思としてエヴァンジェリンの血を飲んだのですが、これは自分と友人たちが命の危機に瀕しているときに本能的に選択してしまった側面も強いので・・・どうでしょうか。今後「仮免許」を与えてしまったエヴァンジェリンを刀太が責め立てるシーンがあるかもしれませんね。

 とにもかくにも、今後の展開に期待しましょう。刀太たちの冒険はこれからだ!


Fin
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お久しぶりです。一応、生きてます。

そして相変わらず「原村和」で検索すると、このブログがヒットします。

タコスおいしいじぇ、ってやかましいわ。


諸事情によりなかなか更新できないでいます(´・ω・`)

ちゃんとネギまは読んでます。でも自分のようなコミック派はSNSでのネタバレラッシュが身に堪えます(笑)。今に始まったことではないですが。

いいネタが浮かび次第、すぐにでも更新したいと思ってます。

それからリンクの整理ですね。これも追々していきます。


あ、それから「ネギのお茶会2」に参加応募してきました。

去年は落選しちゃったので今年こそ当たりますように・・・ナムナム
とらドラ!」や「しゅごキャラ!」ばかりが注目されているこのご時勢ですが、どうか「となグラ!」のことも忘れないであげてほしいと思っている今日この頃です。香月かわいいよ香月。

さて、新年一発目の更新は、漫画やアニメの女性キャラの新しい魅力について語っていきたいと思います。数多くの漫画やアニメが生み出され、そして消費されていくこのご時世の中で、私たちは自分がお気に入りのキャラクターが一人でも多く増えることを願ってやまないものです。
では、お気に入りのキャラが増えるにはどうしたらよいのか。もちろん漫画家などのクリエイターの力量に因るところが多いですが、それらを供給される私たちも新たな視点を探りつつ、漫画やアニメを見ていかなくべきではないかと思います。
もちろん批評・批判などは大いに結構なことですが、決して受け身だけではなく、与えられた限りあるモノの中で可能性を模索していく姿勢も大事なのではないでしょうか。



<新しい視点>

そこで、私は新たなチャームポイントとして「うなじ」に着目してみることを思いつきました。首筋を観るということは相手が女性ならではできることであり、また、女性しか持つことのできない魅力の一つであると考えます。
そしてこれにはもう一つ重要な意味があります。そもそも私たちがキャラクターを観るときは一体何処を観ているかというと、顔や髪型や胸や全身のプロポーションといった箇所が主ですね。そしてそれらに共通することとは、そのキャラクターを正面から観たときのチャームポイントであるということです。
ここで一つ考えてもらいたいところがあります。すなわち、私たちは外見上そのキャラクターを評価する上で、少なくとも正面からの視点でしか評価していないのではないかということです。各々方、今まで好きなキャラを最初に見た瞬間、そのキャラに対してどういう角度から目を向けていたでしょうか。
多くの方は、後ろ姿を観るという視点は、そこには存在しなかったと思います。つまり、うなじはそのキャラクターを後ろから観ても魅力づけることができるという意味で重要な部分であると思います。
キャラクターは正面だけではなく、360°どこから観ても魅力的である方が良いに越したことはありません。菱川師宣の「見返り美人図」ではありませんが(あの画は着物と女帯を美しく見せようとした絵なので)、正面から見て魅力的な女性ならば後ろ姿も魅力的だと思いたいですね。

そういえば『ときメモ2』の八重花桜梨ほど「見返り美人」なキャラもいないものですね



<うなじに不可欠なモノ>

うなじを語る上では、後ろ髪の生え際をなくしてはモノは語れません。これは私自身が実際に検証したことでもあるのですが、大半の女性は、後ろ髪の生え際は山なりのドーム型、或いはy=x^2のグラフのような形(下に凸)をしています。大学時代に酒の席でサークルの女子の後ろ髪をよく見せてもらったことがあるのでこれは確信します。ヘンタイだな俺
また、うなじを観るというのであれば、そのキャラクターの髪型も限られてきます。ポニテもいいですが、やはり最もうなじが映えるのはツインテールですね。なぜかというと、その後ろ髪の生え際の形が(個人的な嗜好を多く含みますが)理想的なキレイな三角形を描くことが多いからです。生え際で上に凸を描くような形ですね。これを私は「富士山型」と呼んでいます。
以前このブログで八重歯がどうのこうのと書いた記憶がありますが、二次元と違って三次元では、実際に八重歯がチャームポイントとなっている女性なんてそうそういないものです。「富士山型」も同様です。前述した通り、山なりのドーム型や下に凸を描いている女性が多いです。



<具体例>

では私が最も魅力的だと思う「ツインテールで後ろ髪の生え際が富士山型」をしているキャラクターとは誰なのでしょうか。具体的なキャラクターの例を挙げていきたいと思います。


こういう形がいいですね
佐倉蜜柑(学園アリス)


マカの富士山型
マカ・アルバーン(ソウルイーター)


夏奈の富士山型
南夏奈(みなみけ)


つるんとした後頭部の両サイドに2本のおさげ、何ともかわいいですね。
このような後ろ姿を見せてくれるキャラクターがかわいい!萌える!と思うのです。いわゆる一種の「形式美」とでもいうのでしょうか、縦に生え際のラインがくっきり見えるときはうなじの生え際は「富士山型」が最も似合っているように思われます。



<更なる理想を求める>

ところで、某友人とうなじについて語っていたところ、彼がこのようなことを言いました。

「実際の女のコには後ろ髪が伸びきってないまま(髪を)結んでいる人もいる。そうするとまだ短い毛が下に垂れているんだ。そこがまたかわいいんだよな。むしろそういう人の方が多いんじゃないのか?」

なるほど、せっかくキレイなうなじを描くのであれば、さらにリアリティを持たせて少々垂れ下がっている髪があった方がイイというわけです。それはそうかもしれませんが、それはあくまで三次元の話であって、それを二次元に求めるのはいかがなものか?描写とかいちいちメンドクサイだろうし・・・・・・
と思っていたら、一人、発見しました。上にも出ている「みなみけ」の南夏奈です。原作のコマをご覧ください。




赤い丸の部分です



大事なことなので2箇所つけました




なんという垂れ髪!アニメでもここまで描かれてはいませんでしたよ!?
コハル先生はよく分かってらっしゃる!!ツインテールにした上で後ろ髪の生え際をきちんと富士山型にして、しかもまだ伸びきっていない部分「垂れ髪」まで描くとは・・・・・・
恐れ入ったものです。



<実はここからが本題です>

元々私がうなじを求めるきっかけとなったのは、ネギま!のキャラに髪を結んでいるキャラが多いよなぁと思ったことでした。実際にヒロイン級のアスナや刹那あたりは髪を後ろで結っているし、他のキャラもそれに準じた髪型にする機会が割と多く見受けられます(風呂に入るときとか)。
それとなく後頭部を気にしつつ他の作品を見ているうちに、次第にうなじと「富士山型」のことについて気づき始めました。あれこれ考えた末の結果がここに書いてきたことです。

というわけで、今一度ネギま!のキャラのうなじを観てみましょう!!



うーん・・・
アスナと刹那


ふーん・・・
のどか


貴女もか
メイちゃん




残念ながらネギま!のキャラにうなじはあまり期待できないようです。他にも桜子とか鳴滝姉妹とかいろいろなキャラクターを見たのですが、都合により割愛させていただきます。おそらく赤松センセーがそれほど重要視していないのでしょう。誰とはいいませんが、ツインにしているくせに首筋がまったく見えないというキャラもいるものでして……


「ぐっ」じゃねーよ…
↑パッとしない例

他にもハヤテの西沢とかパッとしないよなぁ


というわけで、今現在私の中では「みなみけ」の南夏奈が暫定「うなじクイーン」として君臨しています(笑)。不思議とそれまで歯牙にも掛けなかったキャラクターが、(意識的にせよ無意識にせよ)自分が新たな価値観を見出した瞬間から観てみると、突然自分の中で高評価になったということが誰しも1回は経験があるのではないでしょうか。
私は既存のキャラクターたちに対して、この記事を読んでいる皆さんにより多くのそういう機会を味わってほしいと思っています。うなじはあくまで私が発想したものの一つに過ぎません。個人個人がそれぞれの価値観を見出して、一人でも多くのお気に入りのキャラクターが増えることを望みます。


早いもので新年が明けてから1ヶ月が過ぎました。今年もあとわずか11ヶ月ほど、よいお年をお過ごしください。


                                            


<SPECIAL THANKS>
水無月空(高校時代からの友人)

ご無沙汰しております。もう年の瀬です。冬コミの準備などは万全でしょうか? 今回のコミケはカタログの売上げが非常によろしいと聞いておりますが、これはひとえに表紙を描いている人のおかげではないかと思っています。表紙だけでコミケのカタログを買いたくなったのは初めてですね(笑)


さて、今からちょうど1ヶ月前の11月11日、㈱小学館の編集者による雷句誠先生のカラー原稿紛失事件についての和解が成立しました。雷句先生のブログにもそのことについての報告がされています。今回はそのことについて触れてみたいと思います。
事件の概略については、あれだけ大きな話題になった事だし、おそらくみなさんもご存知のことだと思われますので割愛いたします。もしご存知ない方はまずコチラをご覧ください。その後の経過については雷句先生のブログに詳しく書かれているので、そちらも参照してください。

自分が思うに、この事件の根幹となったことは一つ。「出版社による漫画家への軽蔑視」。これに尽きるのではないかと思います。なぜ軽蔑するに至ったのかその経緯はよく分かりませんが、少なくとも漫画家は軽蔑されるどころか、非常に高貴な存在であるはずです。

まず、そもそも漫画家はなぜ「先生」と呼ばれるのか、その所以を確かめておく必要があります。
この世に「先生」と呼ばれる職業は限りがあります。医者、弁護士、政治家、芸術家、(広義の)教師・・・etc  これらの「先生」と呼ばれる職業の人々は、何らかの知識や技術に特化した人々であると言えます。それでもって仕事をしてお金を稼いで御飯を食べているのですから、能力は相当な水準のものでなければなりません。
漫画家は、絵を描いて仕事としているので、広い意味で芸術家の部類に入ると思います。歴史的に見れば漫画家は大人に対してだけではなく、小さな子供に対しての娯楽を提供する存在として大きな役割を果たしてきました。しかも主に紙を媒体としたものですから、安価で手軽に広く普及させることができます。
この「年齢を問わず不特定多数に対してのエンターテイメントの提供できる存在」。その第一人者として今なおその役割は重要なものなのです。
だからこそ漫画家は人気の程度に拘らず、すべて「先生」として尊重されるべき存在です。また、漫画家も自身の立場に決して驕ることなく、その地位を維持するために努力し続けなくてはなりません。この相互の努力のどちらかが欠けたら、もはや健全なエンターテイメントの提供はあり得ないと思います。

もし漫画雑誌を刊行するのに免許が要るとしたら、当然に小学館は免許を剥奪されていたでしょう。漫画家と共に娯楽を提供する側の身でありながら、原稿を紛失するというその漫画家を冒涜する行為。しかも自分のすぐ近くにいる漫画家すら大切にできない者が、果たしてより遠くにいる読者を大切にすることなどできるのか。小学館は、この両者に対して裏切りを犯したのです。風上にも置けないのではないですか。

もっとも、久米田先生の場合はそれが漫画のネタになっているからまだ良いかもしれません。しかしそれは単なる結果論に過ぎません。今回の事態は氷山の一角で、まだあらざるべき扱いを受けている漫画家がいる可能性は十分にあります。他社は小学館の事例を他山の石として、改めて漫画家の存在意義やその接し方などについて検討してほしいものです。どうか、今後二度と不徳義な出版社によって漫画家が憂き目に遭うことが起こらないよう願っている次第です。



毎度のことながらこんなペースでの更新ですので、今年の更新はこれで最後?かもしれません。しかもネギま!のことをあまり書いてないという・・・・・・。これは今年の反省ということで、また来年の指標を考えたいと思います。それでは、良いお年をお過ごしください。
ご無沙汰してます。すっかりキンモクセイのいい香りが漂う季節となりました。これから寒さも増してきますので、皆さんにおかれましてはくれぐれも体調を崩すことのないようお願いしたいところです。

さて、今回はネギま!とはまったく関係ない記事でお送りいたします。ヤングガンガンにて好評連載中の『咲 -Saki-』についてどうしてもモノ申したい気分になってきたので、ここらで一発言っておかなきゃ気が済まないという個人的都合によるものです。御寛恕ください。


さて、この『咲 -Saki-』という漫画は『全国高校生麻雀大会優勝を目指す清澄高校麻雀部および咲の物語。麻雀漫画では珍しい萌え絵で美少女が活躍するのが特徴である』(Wikipediaより)という設定の漫画です。
麻雀漫画といえば、こういうのも何ですが「男臭い」ような「むさ苦しい」ようなイメージが一般的にはあるのではないでしょうか。しかしこの『咲 -Saki-』はそのイメージを払拭せんとばかりにカワイイ女の子たちが活躍してくれます。今までにはなかった形で、それなりの知名度を併せ持った麻雀漫画は他に類を見ないと思います。

もちろん私も愛読者の一人でありまして、友人にも愛読している者がいます。彼らに言わせれば「原村の引きが良すぎる」だの「原村の胸のサイズがあり得ない」だの、挙句の果てには「こんなに麻雀部がある高校なんてねーよ(笑)」などとという、この漫画の存在そのものを否定しかねないことを言いやがるわけですね。

まあ漫画というものは独特の世界観があってこそ成り立つものなわけだし、麻雀は実力がモノをいう部分もありますがやはり運の要素もあります。漫画における「運」はよほど上手く描かない限り多かれ少なかれご都合主義に見えてしまいます。だからそこは「そういうものなんだ」と思って読むしかありません。


ところがそういうところを差し引いてもおよそあり得ないだろうと思う点があります。今回はその点を指摘したいと思います。コミック2巻の副将戦、中学生大会で優勝した原村和が初めて高校生大会で対局する中でそれは起きました。





いよいよデビュー戦!!





中学生大会覇者の高校生大会のデビュー戦です。否が応でも期待度・注目度は群を抜いています。ちなみに片手にしている丸いペンギンのぬいぐるみは、彼女が精神的安定を図るため持ち込んだ物で、大会主催者からは許可を得ています。

そしてしばらく対局が進んだ後のこのコマです。問題はここです。





「パラッ」・・・?





カンチャン待ちにして三色を確定させて、なおかつロンでもツモでも40符4飜=満貫。リーチしなくても闇テンでいける。実にいい手です。さすが原村です。さすがなんですが・・・・・・


妙に違和感がないでしょうか?


よーく見てください。


今まさに、このコマで、あり得ないことが起きてるんです。


・・・お分かりになりましたか?




まるで心霊写真を公開している稲川淳二みたいになってしまいましたが、さながらそんな感じでしょう。

そうです。この原村、右手だけで13枚の牌を一斉に倒してるんです


見ての通り、一連の牌は糸で繋がっているわけではなく、何か道具を使った形跡もありません。かといって左手はペンギンのぬいぐるみを抱えたままです。左手も使ったなら左手は一連の牌の左端に添えてしかるべきでしょう。
両手を使って牌を倒してすかさず左手をぬいぐるみに戻したというのであれば、何もぬいぐるみは小脇に挟む程度で支えられるわけで、描写としてはやはり左手は雀卓の方にあった方が自然な感じです。むしろ手をぬいぐるみの方に戻している描写の方が不自然ではないでしょうか。

しかも「パラッ」という擬音語が1回しか使われてない以上、右手だけで牌を数枚ずつ倒したという線は考えられません。一斉に倒したというのが事実です。

右手だけで、道具を使わず、13枚の牌を一斉に倒した。こんなのできるわけがありません。まだ「幻の役満」といわれる四槓子の方ができる可能性としては高いんじゃないでしょうか?






右手だけの素早い動き


左手は添えるだけ





他のコマを見ても原村はひたすら右手だけで頑張ってます。まさしく左手は添えるだけ。原村の他にも数多くの人物がいますが、殊更に右手だけ使っているところを強く描かれているのは彼女だけです。他の人はみんなあがるときは両手使ってます。

(※麻雀の競技中は不正防止のため牌をまっすぐに揃える、あるいは倒すとき以外は片手しか使ってはいけないこととされています)

しかしそんな彼女も4巻の見開きでようやく見せてくれます。





やはり不可解





なんだやっぱり両手使ってたんじゃないかと思うわけですが、しかしこれでもまだ不自然な点が残ります。

この場面ではぬいぐるみはお腹に抱えています。つまり、両手を使った場合は必然的にぬいぐるみはお腹に抱えるしかないというわけです。ということは、やはり問題の2巻のコマでは左手はぬいぐるみを抱えていたということになります。すなわち、右手しか使ってないと・・・・・・


ちょっとこれは・・・・・・作者である小林立先生に所見を伺いたいところです。果たしてこれも原村の「実力」なのでしょうか? あまり深く突っ込むのも野暮なのでそこそこにしておきますが、なんにしても原村和はタダ者ではないということは確かですね。これから彼女がどんな活躍を見せてくれるのか、物語はどのような展開を迎えるのか、新刊は12月か年明けでしょうか。非常に楽しみにしております。


(完)
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