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あらゆる角度から『魔法先生ネギま!』を斬る!!つもりのブログ、のはずだったが最近はその趣旨からかなりずれている。マンガ全般について扱っているつもりのブログ。でも「ネギま!」のことは忘れないブログ。
予め断っておくが、今回は『魔法先生ネギま!』とは一切無関係の記事であることをご容赦いただきたい。「ポケモン」オンリーの話で、プレーしていない人には分かりかねる部分も多いだろうが、ご了承願いたい。


今日の朝、何気なく新聞のラテ欄を眺めていたら「ポケAG(終)」の文字列がひっそりと夕方の部分に書かれていた。ああ、そういえば長く続いたポケモンのアニメがとうとう終わるんだっけ――うえのぶ氏もそんなこと日記で書いてたよなと思いながらふと気付いたことがあった。
そうだ、今日はニンテンドーDS初の本家ポケモンの新作が発売される日だった。これもうえのぶ氏が日記で書いていたことだ。私はDS本体を持っていないので現在のところ買う予定はない。だが仮に私がDSを持っていたとして――果たして食指が動いたかどうかは甚だ疑問であると言わざるをえない。

私がポケモンを始めたのは中学3年のときだった。『ポケモン赤』を友人から借りていたものをそのまま¥2000で譲ってもらったのである。当時購読していた「少年ガンガン」の一コーナーとして紹介されていたポケモンの中で見たマルマインに一目で惚れ込んで『最強のマルマイン使いになろう!』などと無邪気に遊んでいたものである。最初にヒトカゲを選んで苦労した思い出とか、最終的なメンバーがアーボック、ラフレシア、リザードン、マルマイン、フリーザー、ライチュウと、何故かでんきタイプが2匹いたなどということも今はいい思い出である。

それから月日が経ち、私が高校生になった頃に続編である『ポケモン金・銀』が発売された。ゲームボーイカラー対応となり、音楽・グラフィック共に格段に良くなり、また、交配システムやリアルタイム制の採用などファンを飽きさせないシステムがふんだんに盛り込まれていた。ゲーム中のポケモンよろしく、ゲーム自体も大きな進化を遂げていたと言えよう。

しかしこの頃から自分の中で妙な違和感を覚えはじめていた。いつまで経っても主人公の部屋が殺風景のままで、いつまで経ってもゴーストはゲンガーに進化せず、いつまで経ってもユンゲラーはフーディンにならない・・・・・・
ゲームをプレーしたことがある方ならもうお分かりだろう。私には一緒にポケモンをプレーする仲間がいなかったのである。ゲーム雑誌では華々しく大会の告知が彩っている中、私は細々と独りでポケモンを愛でていたのだ。その大会といっても会場は東京、大阪、名古屋など当時の自分にとっては(今もだが)とても遠くて参加する気など起きない場所での開催しかなかった。それらは後にポケモングッズ専売店であるポケモンセンターが建てられる場所となる所である。

最初は「もうポケモンなどという年齢ではないのだろう」と悲しくも思わざるをえなかった。ちょうどその頃インターネットというものを始めて、ポケモンのことをいろいろと調べていたら、どうだ。自分より下の世代はもちろんのこと、同じ世代、或いはそれ以上の世代の人々ですら盛んにポケモンはプレーされており、ファン同士の交流・情報交換も活気に満ち溢れるほど行なわれていたのである。そしてそうした交流を図っている人たちのほとんどが首都圏やら大都市などと言われる地方に住んでいる人たちだった。

私は愕然とした。ポケモンに世代は関係なかったのだ。問題は年齢などというものではない。単なる普及の度合い、地域による普及の温度差が如実に表れていたのである。その原因は何なのか、明らかに大会などのイベントの回数、それによるゲーム人口の増加によるものであることは火を見るよりも明らかであった。
もはや私には限界があった。近所の小学生にでも声をかけて一緒に遊ぶしかないのか? 任天堂はこういう環境しか提供してくれなかったのか。イベント限定配布のミュウもセレビィも、私のゲームカートリッジには入っていなかった。
ただ、その頃にネット上でポケモンを通じて知り合った同年代の人物がいた。うえのぶ氏である。彼は自分以上にポケモンフリークだということはすぐに分かった。やはり世の中にはこういう人もいるのだと、改めて自分のすぐ身近な境遇が卑小であるかを知った。
すぐにでも対戦とかポケモン交換とかしてみたかった。しかし私が住んでいるのは仙台、彼が住んでいるのは四日市。到底、会うことなど不可能だった。掲示板上で多少の話をするのが精一杯だった。

そして更に月日が経ち、私は大学1年生になっていた。その年にポケモンはゲームボーイアドバンスで新作、『ポケモンルビー・サファイア』が発売された。私はちょっとした裏技を使って発売日前日にフライングゲットし、うえのぶ氏に自慢しつつプレーに没頭した(ホントに殴ろうかと思った、とは後日うえのぶ氏談)。大学は他県に移り住んで通っていたが、もう私は孤立していた。完全なる1人遊びだ。

『ルビ・サファ』ではワイヤレスアダプタの採用や複数人数でのポロックづくりひみつきちなど新システムが新たに加えられたが、どれもが多人数との交流を前提としたシステムであった。
一方、ネット上での交流・情報交換は更にヒートアップしていた。個体値・努力値によるより強いポケモンの作り方、ちょくちょく行なわれている対戦オフ会、そして任天堂主催の大がかりなイベント・・・・・・
うえのぶ氏は他に知り合ったポケモン仲間と幾度にも渡って対戦をしてきたことは、彼のサイトの日記を見ればわかることだ。それだけポケモンに打ち込める環境があったからこそなのだろう。
それに引きかえ、私は年に1度くらいうえのぶ氏と会うことしかない。今までポケモンで対戦した回数など片手で数えられるくらいだ。私には個体値やら努力値やらを勘案してより強いポケモンを作るだけの動機がなかったから――勝てるわけがない。恐らく、誰よりも弱いだろう。この東北地方ではうえのぶ氏の相手になる人間はそうそういないのではないだろうか。

当然、長続きはしなかった。ゲーム離れをする年齢でもあったのだろうが、徐々にポケモンは私の中から影を潜めていった。かつて、私は自分のサイト内で嘆いたことがある。この地域による不公平さは何なのかと。自分はもっとポケモンを遊び尽くしたいのに、それができない悲しさ・悔しさ・憤り。うえのぶ氏やその仲間の方々が掲示板上で交わしていることが私にはまったく理解できなかった。個体値? 努力値? いまだに私はそれが何なのか説明することができない。他にもポケモンセンターを仙台につくれとかいろいろ書いた気がする。もっとも、それはポケモン仲間ではなく任天堂に対して訴えることではあったが。

冒頭で私は「うえのぶ氏に書いてあった」と2つのことを思い出したと書いた。ポケモンアニメの終了、ポケモン新作の発売――それだけ私の中からポケモンが離れていったことの証左であろう。

今や世界の『Nintendo』であり、世界の『Pokemon』だ。ポケモンを世界レベルにまで普及させた任天堂の功績はとても大きい。しかしそのお膝元では? あらゆる世代のポケモンファンたちが新作のプレーに没頭している影でこんな思いをしている奴がいる。私はNintendoに切り捨てられた人間なのだ。もはやNintendoは世界を視野に入れ、自分のお膝元を見つめる眼など持ち合わせていないのかも知れない。

この光と影。たかだか年に1、2回くらい地方でイベントをやったぐらいではどうすることもできない。これ以上の是正はもう望めないのかと、今日も外で歩きながらDSで遊んでいた小学生を見つめながら物思いに耽っていた。この子たちは気付いていない。いや、気付かない方が彼らにとってはいいことかもしれない。しかし今までの任天堂のやり方に対して、私は声を大にして言いたいのだ。


『誰もが遊び尽くせるゲームをつくれ』と。
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コメント
この記事へのコメント
今回は家の無線LANを使って世界中と通信・対戦できるから地方切り捨てという感は少なくなったよ。
しかもボイスチャット機能付き。
家にネット環境が無くてもフリースポットやwi-fiステーションに行けばタダで出来るし。
これでどうだ!かがくのちからってすげー!!
2006/09/29(金) 00:40 | URL | うえのぶ #wuOrFrC6[ 編集]
追記。
アニメはもちろん新シリーズが始まりましたのでご心配なく。
2006/09/29(金) 00:44 | URL | うえのぶ #wuOrFrC6[ 編集]
はじめまして。おっさんです。
ゐたるさんの名前は各所でお見受けしています。

任天堂は企業としてやれることは全てやっていると思いますが。
与えられた環境を活かすも殺すもプレイヤー次第です。
あなたは「活かせなかった」と思っているようですが、「活かさなかった」ように見受けられます。
何故ネット上の輪にもっと踏み込もうと思わなかったんですか?地元の対戦オフの存在を調べようとしたりしました?
仙台にも対戦オフ会は俺の知る限り、2004年頃から存続しています。今夏俺も遠征させて頂きましたし。
事実、04年は仙台でも公式大会が開催されていました。これに参加しようとか観戦しようとか思ったりしましたか?
企業側が用意した交流の場も活かさずに「切り捨てられた」などと任天堂の批判はお門違いです。
2006/10/03(火) 14:49 | URL | おっさん #-[ 編集]
>うえのぶ氏
うん、そういうわけでようやく自分と全国とが繋がった。といってもまだ三重県だけだけどね。
俺対戦よりは交換を申し込む方が多いと思うけど、よろしく~。

>おっさんさん
どうもこんにちは。
私の名前ってそんなに有名なんですか^^; ちょっと怖いですね・・・

まずは御意見ありがとうございます。
仙台大会が行われていた頃は大学生で、他県で一人暮らしをしていました。04年といえば大学3年生で、サークルの活動が最も多忙だったとかその後も就活の事があったとか、私情を挟めば言い訳はいくらでもできますが・・・・・・
反論しようとしてもその程度のものしかできないですね。なのでご指摘はもっともな事だと思います。

ネットの輪は結構活用していたと思います。仙台に住んでいた私と三重県に住んでいるうえのぶ氏が毎年必ず会うようになったのも、ポケモンを通じてのことでした。
ただ名古屋に近いせいかあちら側はオフ会などが盛んなんですよね。そういう報告などを見ていると「羨ましいな~」と思いつつ、段々とモチベーションが下がっていったのは否めないことです。やはり実際に対戦する人が身近にいないと寂しいものです。

環境を活かしきれなかった――
確かに環境はあったのでしょうが、それを活そうと思うぐらいにポケモンの事が自分の中で大きなものだったかどうかは本文に書いてあるとおりです。
うえのぶ氏の言う「地方切り捨て」は少なくとも存在していたと思います。その点任天堂は素直に反省すべきだし、それを踏まえた上でポケモンをDSに移行してからイベントの開催等以上に改善しようとしたのならば賞賛すべきでしょう。

ただ大切なのは今までどうだったかじゃなくて、これからどうするのかということですよね。Wi-Fiも導入したことだし、今までよりは豊かなポケモンライフを送れることはできそうです。
一朝一夕では地域格差の溝は埋まらないでしょうが、これを機にもっと地方にまで普及していければと思います。

この程度の回答しかできませんが、御意見は真摯に受け止めます。またポケモンの記事を書くかどうかは未定ですが、もしまた書く機会があればよろしくお願いいたしますm(__)m
2006/10/03(火) 16:38 | URL | ゐたる #-[ 編集]
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