金木犀の仄かな香りが漂う季節となりました。
久しぶりの更新となります。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
ご覧の通り、しばらくの間記事という記事を書いていなかったのには訳がありまして、『らき☆すた』や『さよなら絶望先生』を熱心に鑑賞した後、今度は『コードギアス』でも見るかーと思っていたところに友人から「早くブログ更新しろバカヤロー」と言われまして、嗚呼そういえばネギドラも始まったことだしそろそろ何か書いてもいい頃だな~と思い、今回の更新に至ったわけであります。
要は、浮気が原因でした。もちろん私生活上の問題もあったんですが、それはそれとして原因はまた別なところにもあったということで申し訳なく思います。
さて、今回はネギドラについてまたお話でもしていこうかと思っているのですが、当初は「ネギま!Parallel」だかなんだか、そんなタイトルが付くという話を聞いていたのですが実際は違うタイトルになっていたようです。
「Parallel」といっても私たちは今まで2回もアニメで「Parallel」なネギま!の世界を見せられていたわけですから、今更「Parallel」なんていう言葉で『これから展開する話はあくまで平行世界の話ですので』などと予防線を張ってもらう必要はなかったわけですね。
既にドラマの方は2話まで放映が終了したようです。私は内容というかドラマの存在そのものについて、以前の記事で書きたいことはほとんど書かせきってもらったので、改めて何も言うことはあまりありません・・・と言いたいところですがもう少しだけお付き合いのほどを。
1話だけかじってみましたところ、チワワが可愛かったことがやけに印象的でした(私は猫派ですが)。あとはワラワラと集まってくる生徒たちがバイオハザードを連想させたとか。これは各所で言われていることみたいですね。
mixiや楊さんのサイトでのアンケートなどにも書いたことですが、私には素人がつくった同人誌ならぬ同人ドラマだなという感じがしました。「同人」という目線で見れば見れないこともないかなとも思います。
ただやはり一般的な視点をもって見るといかがなものでしょうか。「『ネギま!』の名が付くものならイワシの頭だって好きになれる!」ぐらいの人じゃないと2クールでもeーよ(千雨のキャラソン風に)とはいかないかもしれません。私は『ゆーな』と名が付くものならサンマの頭だって好きになる自信はありますが(笑)
たとえ1万人に1人にしかウケなくてもそれで良しというか。むしろその1人のためにこのドラマは放映されていますという感じが否めません。それはそれで悪いことはありませんけどね。
実際のところはどうなんでしょう。あいにく、普段私がお付き合いさせていただいている方々は熱狂的なファン(フリークともいう)が多いものでして、概ね好評のようです。ならばこのドラマの使命は既に果たされていると言ってもいいでしょう。ドラマ中の設定などで『ネギま!』をまったく知らない人にとっては内容が理解できないであろうという弊害はありますが、ファンを満足させたんですから、それ以上何を望むことがあるでしょうか。
しかしせっかく実写化したのだから「熱狂的ファンのためのオ○ニー素材」に終始することなく、『ネギま!』の知名度に少しでも貢献できたりすればいいのにな~などと思うのは無粋というものでしょうか(深夜放送でしかも地域限定の放送では知名度に貢献できるとはいい難い)。
さて、今回はここまで。次回は原作でもドラマでもさっぱり目立っていない那波千鶴について書いていこうと思います。mixiやネギま!SNSで「千鶴について書く!」と公言してから数ヶ月が経過し、そろそろ書かないといけない気がするので・・・
それでは皆さんごきげんようノシ
久しぶりの更新となります。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
ご覧の通り、しばらくの間記事という記事を書いていなかったのには訳がありまして、『らき☆すた』や『さよなら絶望先生』を熱心に鑑賞した後、今度は『コードギアス』でも見るかーと思っていたところに友人から「早くブログ更新しろバカヤロー」と言われまして、嗚呼そういえばネギドラも始まったことだしそろそろ何か書いてもいい頃だな~と思い、今回の更新に至ったわけであります。
要は、浮気が原因でした。もちろん私生活上の問題もあったんですが、それはそれとして原因はまた別なところにもあったということで申し訳なく思います。
さて、今回はネギドラについてまたお話でもしていこうかと思っているのですが、当初は「ネギま!Parallel」だかなんだか、そんなタイトルが付くという話を聞いていたのですが実際は違うタイトルになっていたようです。
「Parallel」といっても私たちは今まで2回もアニメで「Parallel」なネギま!の世界を見せられていたわけですから、今更「Parallel」なんていう言葉で『これから展開する話はあくまで平行世界の話ですので』などと予防線を張ってもらう必要はなかったわけですね。
既にドラマの方は2話まで放映が終了したようです。私は内容というかドラマの存在そのものについて、以前の記事で書きたいことはほとんど書かせきってもらったので、改めて何も言うことはあまりありません・・・と言いたいところですがもう少しだけお付き合いのほどを。
1話だけかじってみましたところ、チワワが可愛かったことがやけに印象的でした(私は猫派ですが)。あとはワラワラと集まってくる生徒たちがバイオハザードを連想させたとか。これは各所で言われていることみたいですね。
mixiや楊さんのサイトでのアンケートなどにも書いたことですが、私には素人がつくった同人誌ならぬ同人ドラマだなという感じがしました。「同人」という目線で見れば見れないこともないかなとも思います。
ただやはり一般的な視点をもって見るといかがなものでしょうか。「『ネギま!』の名が付くものならイワシの頭だって好きになれる!」ぐらいの人じゃないと2クールでもeーよ(千雨のキャラソン風に)とはいかないかもしれません。私は『ゆーな』と名が付くものならサンマの頭だって好きになる自信はありますが(笑)
たとえ1万人に1人にしかウケなくてもそれで良しというか。むしろその1人のためにこのドラマは放映されていますという感じが否めません。それはそれで悪いことはありませんけどね。
実際のところはどうなんでしょう。あいにく、普段私がお付き合いさせていただいている方々は熱狂的なファン(フリークともいう)が多いものでして、概ね好評のようです。ならばこのドラマの使命は既に果たされていると言ってもいいでしょう。ドラマ中の設定などで『ネギま!』をまったく知らない人にとっては内容が理解できないであろうという弊害はありますが、ファンを満足させたんですから、それ以上何を望むことがあるでしょうか。
しかしせっかく実写化したのだから「熱狂的ファンのためのオ○ニー素材」に終始することなく、『ネギま!』の知名度に少しでも貢献できたりすればいいのにな~などと思うのは無粋というものでしょうか(深夜放送でしかも地域限定の放送では知名度に貢献できるとはいい難い)。
さて、今回はここまで。次回は原作でもドラマでもさっぱり目立っていない那波千鶴について書いていこうと思います。mixiやネギま!SNSで「千鶴について書く!」と公言してから数ヶ月が経過し、そろそろ書かないといけない気がするので・・・
それでは皆さんごきげんようノシ
いよいよドラマ版『ネギま!』のキャストも顔写真付きで公式発表がなされ、実写化という現実が眼前まで迫ってきています。今回はファンの間でも騒動となっている、その実写化について述べたいと思います。
私が最初、とある出演予定者のブログから「実写化」という情報が漏れたことを知ったとき、直感的に2つのことを思いました。
1つはこれが「企画」とか「プロジェクト」とかそういう大層なものではなくて、およそネギま!と乖離したところに本来の目的がある「企て」に近いのではないかという事。
そしてもう1つは、圧倒的な数の『ネギま!』ファンが猛反対する中で少数の賛成派がそれに異を唱え、賛否両論が繰り広げられる構図が出来上がるであろうという事です。
前者はまったくもって私の独断と偏見によるものですが、後者は明らかにそのような様相を見せていると言っていいでしょう。
何故ここまで反対派が多いのかというと、やはり『ネギま!』という作品そのものがあまりにフィクション性が高いことが挙げられます。特に登場人物にそれが当てはまると思います。
10歳の天才少年。あまりに中学生離れした個性豊かなクラスメイト。幽霊(さよ)はどうするの? ザジは黒人を起用? 魔法はどうやって映像にするの?・・・などなど、ざっと思いついただけでも実写化にあたって不可避な問題点は山積みになっているわけです。
そもそもそういったファクターがあってこそ『ネギま!』は『ネギま!』になり得るわけですから、そこらのタレントを適当に起用して・・・という簡単な話では済まされません。そうでなくてはもはや『ネギま!』とは全く別物の、何がしかのドラマしかできないことは想像に難くありません。
また、どうしてもこれをなくして語れないというのが過去2度に渡るアニメ化のことでしょう。第1期のときは無残なまでの作画崩壊やストーリー改変によって完全に黒歴史とされていますし、第2期も部分的に面白いところはあったが第1期よりはマシという程度に留まってしまった(というか第1期が悪すぎたのでお世辞にも良い評価は下されていないとみるべき)。
こういうことから、ほとんどのファンはこれ以上のメディアミックスに対して辟易しているのが現状なのだと思います。そこへ舞い込んできたのが実写化の話。反発しないわけがありません。
中には賛成している方もいらっしゃるようです。しかしその人たちの意見を聞く限り、「せっかくのドラマ化の話なんだし、楽しみにしようじゃないか」「やってみなければ分からない」などといった消極的賛成の声しか聞かれない感じがどうしても否めません。諸手を挙げて賛成している人は皆無のようにも思えます。
賛成するのだったら、過去にはこういう漫画の実写化が成功しているのだから『ネギま!』だって成功するはずだとか、いろいろなデータを持ち出して猛烈にプッシュするような声もあってもいいように思われるのですが、なかなかそうもいかないようです。やはり賛成の声をあげる人の脳裏にも過去の出来事が焼き付いて離れていないのかもしれません。
しかしそれは過去の出来事として存在する以上仕方のないことであり、多かれ少なかれ消極的になってしまうのはごく自然な流れだと思います。
ここで制作陣には言っておきたい。中には楽しみだ、期待しますと言う人もいるが、それはあなたたちが「実写化します」と言ったから初めて楽しみだと言っただけであって、最初から実写化なんて話が出なければ誰がそんな事に期待しますか。誰が期待しましたか。
そもそも実写化という話に対しては『ネギま!』という作品に対する愛が感じられません。何故そういうことが言えるのかというのは申すに及ばず、これだけのファンが反発していることがまさにその証左でありましょう。『ネギま!』を愛する者たちが実写化に対して猛反対したという事実です。
そして先日、週間少年マガジン内で発表されたキャストの面々。このタレント起用もよく分かりません。オール日本人だとか31人中の年齢差が大きいとか、『ネギま!』のクラスメイトの設定をガン無視したとしか思えない起用が目立ちます。
『ネギま!』のヒロインは個々の人物設定があってこそのヒロインです。それは前述にある「ファクター」と全く同じことです。表面的なことすら再現できないで、一体何を作るつもりなのでしょうか。キャストは小学校の学芸会レベルですね。まあ、鳴滝姉妹ぐらいは再現できそうですが。
忘れてはならないのは、この実写化は作者である赤松先生も推進したことです。公式サイトで『かなり良いですよ。』と公言している以上、もちろん御本人が納得してゴーサインを出したということです。
この実写化という話への赤松先生の態度は、赤松先生が自身の作品をどうしたいのか、どう考えているのかということに深く関わってきます。それに対してその作品のファンが猛反発をしたということは、赤松先生とファンとの間で『ネギま!』への思いに齟齬が生じていることが浮き彫りになったということの表れではないでしょうか。
なぜ実写化?話題性の確保と言う人もいますが、今さら『ネギま!』に話題性なんて必要なのでしょうか。というか、なぜ話題性を気にするのでしょうか。『ネギま!』ほど多くの人が見ている作品だったらそんな心配とは無縁のはずなのです。仮に話題性を確保しなければならないほど人気が落ちているのだとしても、実写化という話はいただけません。ゴルフに例えれば、狭いフェアウェイで難しいクラブで打とうとするようなものです。当たればデカいかも知れないが、当たる可能性はほとんどないのではないか。リスクが高すぎます。
メディアミックスなんかいつでもできる。そんなことよりも原作を面白くして人気を得る方がよっぽど建設的です!
何にしろ、少なくとも実写化の話に赤松先生も一枚噛んでいるという事実を見過ごすべきではありません。
赤松先生のお考えはどうあれ、正直な話、私にはこの実写ドラマはただの小粒タレントのまとめ売りにしか思えません。むしろ当初からそういうことが狙いだったのではないかと勘ぐりたくなるほどです。
しかし、もはや実写化という流れに歯止めをかけることは不可能に近い。我々はもちろん、赤松先生を含む制作陣も引くに引けないところまで来ているでしょう。猛反発をされるくらいなら、最初から企画を公表しなければよかった話なのです・・・
私たちはこれを甘んじて受け入れるしかないのでしょうか。制作陣や役者だけが気に入っててヒットしない番組など誰も求めてはいません。お互いに「作ってよかった」「見てよかった」と思えるものをつくろうという制作陣の意思というか意地というか、それをどこかで見せて欲しいものです。
最後に、私がここで書いたことを後悔するぐらいにクオリティが高いものが世に公表され、今後ますます『魔法先生ネギま!』が繁栄することを切に願う所存であります。
私が最初、とある出演予定者のブログから「実写化」という情報が漏れたことを知ったとき、直感的に2つのことを思いました。
1つはこれが「企画」とか「プロジェクト」とかそういう大層なものではなくて、およそネギま!と乖離したところに本来の目的がある「企て」に近いのではないかという事。
そしてもう1つは、圧倒的な数の『ネギま!』ファンが猛反対する中で少数の賛成派がそれに異を唱え、賛否両論が繰り広げられる構図が出来上がるであろうという事です。
前者はまったくもって私の独断と偏見によるものですが、後者は明らかにそのような様相を見せていると言っていいでしょう。
何故ここまで反対派が多いのかというと、やはり『ネギま!』という作品そのものがあまりにフィクション性が高いことが挙げられます。特に登場人物にそれが当てはまると思います。
10歳の天才少年。あまりに中学生離れした個性豊かなクラスメイト。幽霊(さよ)はどうするの? ザジは黒人を起用? 魔法はどうやって映像にするの?・・・などなど、ざっと思いついただけでも実写化にあたって不可避な問題点は山積みになっているわけです。
そもそもそういったファクターがあってこそ『ネギま!』は『ネギま!』になり得るわけですから、そこらのタレントを適当に起用して・・・という簡単な話では済まされません。そうでなくてはもはや『ネギま!』とは全く別物の、何がしかのドラマしかできないことは想像に難くありません。
また、どうしてもこれをなくして語れないというのが過去2度に渡るアニメ化のことでしょう。第1期のときは無残なまでの作画崩壊やストーリー改変によって完全に黒歴史とされていますし、第2期も部分的に面白いところはあったが第1期よりはマシという程度に留まってしまった(というか第1期が悪すぎたのでお世辞にも良い評価は下されていないとみるべき)。
こういうことから、ほとんどのファンはこれ以上のメディアミックスに対して辟易しているのが現状なのだと思います。そこへ舞い込んできたのが実写化の話。反発しないわけがありません。
中には賛成している方もいらっしゃるようです。しかしその人たちの意見を聞く限り、「せっかくのドラマ化の話なんだし、楽しみにしようじゃないか」「やってみなければ分からない」などといった消極的賛成の声しか聞かれない感じがどうしても否めません。諸手を挙げて賛成している人は皆無のようにも思えます。
賛成するのだったら、過去にはこういう漫画の実写化が成功しているのだから『ネギま!』だって成功するはずだとか、いろいろなデータを持ち出して猛烈にプッシュするような声もあってもいいように思われるのですが、なかなかそうもいかないようです。やはり賛成の声をあげる人の脳裏にも過去の出来事が焼き付いて離れていないのかもしれません。
しかしそれは過去の出来事として存在する以上仕方のないことであり、多かれ少なかれ消極的になってしまうのはごく自然な流れだと思います。
ここで制作陣には言っておきたい。中には楽しみだ、期待しますと言う人もいるが、それはあなたたちが「実写化します」と言ったから初めて楽しみだと言っただけであって、最初から実写化なんて話が出なければ誰がそんな事に期待しますか。誰が期待しましたか。
そもそも実写化という話に対しては『ネギま!』という作品に対する愛が感じられません。何故そういうことが言えるのかというのは申すに及ばず、これだけのファンが反発していることがまさにその証左でありましょう。『ネギま!』を愛する者たちが実写化に対して猛反対したという事実です。
そして先日、週間少年マガジン内で発表されたキャストの面々。このタレント起用もよく分かりません。オール日本人だとか31人中の年齢差が大きいとか、『ネギま!』のクラスメイトの設定をガン無視したとしか思えない起用が目立ちます。
『ネギま!』のヒロインは個々の人物設定があってこそのヒロインです。それは前述にある「ファクター」と全く同じことです。表面的なことすら再現できないで、一体何を作るつもりなのでしょうか。キャストは小学校の学芸会レベルですね。まあ、鳴滝姉妹ぐらいは再現できそうですが。
忘れてはならないのは、この実写化は作者である赤松先生も推進したことです。公式サイトで『かなり良いですよ。』と公言している以上、もちろん御本人が納得してゴーサインを出したということです。
この実写化という話への赤松先生の態度は、赤松先生が自身の作品をどうしたいのか、どう考えているのかということに深く関わってきます。それに対してその作品のファンが猛反発をしたということは、赤松先生とファンとの間で『ネギま!』への思いに齟齬が生じていることが浮き彫りになったということの表れではないでしょうか。
なぜ実写化?話題性の確保と言う人もいますが、今さら『ネギま!』に話題性なんて必要なのでしょうか。というか、なぜ話題性を気にするのでしょうか。『ネギま!』ほど多くの人が見ている作品だったらそんな心配とは無縁のはずなのです。仮に話題性を確保しなければならないほど人気が落ちているのだとしても、実写化という話はいただけません。ゴルフに例えれば、狭いフェアウェイで難しいクラブで打とうとするようなものです。当たればデカいかも知れないが、当たる可能性はほとんどないのではないか。リスクが高すぎます。
メディアミックスなんかいつでもできる。そんなことよりも原作を面白くして人気を得る方がよっぽど建設的です!
何にしろ、少なくとも実写化の話に赤松先生も一枚噛んでいるという事実を見過ごすべきではありません。
赤松先生のお考えはどうあれ、正直な話、私にはこの実写ドラマはただの小粒タレントのまとめ売りにしか思えません。むしろ当初からそういうことが狙いだったのではないかと勘ぐりたくなるほどです。
しかし、もはや実写化という流れに歯止めをかけることは不可能に近い。我々はもちろん、赤松先生を含む制作陣も引くに引けないところまで来ているでしょう。猛反発をされるくらいなら、最初から企画を公表しなければよかった話なのです・・・
私たちはこれを甘んじて受け入れるしかないのでしょうか。制作陣や役者だけが気に入っててヒットしない番組など誰も求めてはいません。お互いに「作ってよかった」「見てよかった」と思えるものをつくろうという制作陣の意思というか意地というか、それをどこかで見せて欲しいものです。
最後に、私がここで書いたことを後悔するぐらいにクオリティが高いものが世に公表され、今後ますます『魔法先生ネギま!』が繁栄することを切に願う所存であります。
本年も「あかしいなつみ」をよろしくお願い申し上げますm(__)m
いや~それにしても昨日今日の日テレの番組は神でしたね。
大晦日、元旦とこんなに笑っちゃっていいものなのでしょうか。
なんだか後でものすごく落ち込むようなことが怒りそうで怖いぐらいです。
特に「お笑いウルトラクイズ」の復活は心のそこから喜びたいものでした。
今回もクオリティ高かったですね。今のご時勢にしてはよくあそこまで出来たと思います。昔はああいうのが年に2回見られたんですから、贅沢なものでした。本来バラエティ番組というものはあれぐらい面白いものじゃなきゃダメなんですよね。
11年前のOAもまるで昨日の事のように覚えてます。ウド鈴木の愛車(確かだいぶ古い型のアウディ100?だったと思う)がブルドーザーにペシャンコにされたとことかね。まあ私はDVDボックスを持ってるんでいつでも昔の映像を楽しむことができるんですが、今回もDVDにしてくれる予定みたいですね。これは買いです。
そういえばPCの中を漁っていたら、こんな画像が出てきました。

(クリックすると拡大できます)
何のために保存していたのかよく分かりませんが、昔の「人間性クイズ」の一場面ですね。・・・ってあれ、そもそもクイズじゃないですけどね(笑)
また来年放送されることを期待しましょうw
そういうことで、今年もネギま!やバラエティ番組が面白い年でありますよう心から願いまして、新年の挨拶とさせていただきます(^^)
いや~それにしても昨日今日の日テレの番組は神でしたね。
大晦日、元旦とこんなに笑っちゃっていいものなのでしょうか。
なんだか後でものすごく落ち込むようなことが怒りそうで怖いぐらいです。
特に「お笑いウルトラクイズ」の復活は心のそこから喜びたいものでした。
今回もクオリティ高かったですね。今のご時勢にしてはよくあそこまで出来たと思います。昔はああいうのが年に2回見られたんですから、贅沢なものでした。本来バラエティ番組というものはあれぐらい面白いものじゃなきゃダメなんですよね。
11年前のOAもまるで昨日の事のように覚えてます。ウド鈴木の愛車(確かだいぶ古い型のアウディ100?だったと思う)がブルドーザーにペシャンコにされたとことかね。まあ私はDVDボックスを持ってるんでいつでも昔の映像を楽しむことができるんですが、今回もDVDにしてくれる予定みたいですね。これは買いです。
そういえばPCの中を漁っていたら、こんな画像が出てきました。

(クリックすると拡大できます)
何のために保存していたのかよく分かりませんが、昔の「人間性クイズ」の一場面ですね。・・・ってあれ、そもそもクイズじゃないですけどね(笑)
また来年放送されることを期待しましょうw
そういうことで、今年もネギま!やバラエティ番組が面白い年でありますよう心から願いまして、新年の挨拶とさせていただきます(^^)
「今年1年を振り返る」という題にして書こうとしたものの、何を書いたらいいのか分かりません(笑)
実を言うと、ここはネギま!ブログらしくネギま!の記事を書いて1年の締めくくりとしようと思っていたのですが、時間の都合上どうしても書ききれませんでした。冬コミオフのレポなんてまだ構想すら練ってないし、ここはどうしたものか・・・・・・
じゃあ代わりといっては何ですが、ネギま!記事とは全く関係ないことですが、これから新年会が続くシーズンにおいて欠かせない酒の席で使える便利なことを教えちゃいます。
その便利なこととはズバリ「好きなときに吐く方法」です!!
大勢で楽しくお酒を飲むことは結構なことですが、あまりにも度が過ぎて誰かに抱えられながら帰宅するというのは恥ずかしいものです。だからなるべくそういうことは未然に防止したいものですよね?
そのためにはお酒を飲んでる途中に「ちょっと気持ち悪くなったな・・・飲み過ぎたかな・・・」という時点で一旦体内のアルコールを外に出してしまえばいいのです。気持ち悪いというのは、胃や肝臓がアルコールを消化しきれないと悲鳴を上げているからです。
ちょっとトイレに行くふりをして、思いっ切りトイレでオエ~っと吐いて、何気ない顔で戻ってくる。これなら周りの人にも迷惑をかけずに済みます。恥ずかしい思いもしません。
ではその「好きなときに吐く」方法を順を追って説明していきます。これは私が大学生活4年間で体得したものですから間違いはありません。ちゃんと順序を守ってくださいね。
<手順>
①事前に水かお茶を300~500mlくらい一気飲みする。胃の中の物を流し出しやすくするため。
↓
②急いでトイレに駆け込む。もちろん大の便器の方。
↓
③きちんと中に先客がいないか確認し、施錠をする。
↓
④吐く前にまず便器に対して一礼をする。きちんと指先まで伸ばし、足は45度くらいに開いているのが望ましい。
↓
⑤便器の水面からおおよそ30cmぐらいのところまで顔を近づける
↓
⑥口を大きく開き、舌の奥・咽頭部を指先で軽く突く
↓
⑦最初は「オエッ」という程度で終わるが、これを何回も繰り返す
↓
⑧そのうち段々と胃の内容物が食道を上ってきていることが感覚で分かる。しかしそこで止めてはならない
↓
⑨自分でこれでもかというぐらいに、とどめを刺すつもりでなおも咽頭部を指先で突く
↓
⑩そこまでやれば後は「嘔吐反射」で、自分の意思に関係なく吐く
↓
⑪嘔吐中は呼吸が一切出来ない上に激しく扇動運動するので、とても息苦しくなる。しかしそこはひたすら耐える。長くても十数秒ぐらいだから死にやしない
↓
⑫胃がスッキリしたらちゃんとトイレを流す
↓
⑬そして清々しい気持ちで起立し、再度便器に対して一礼をする
↓
⑭うがい手洗いをした後、自分の席に戻る
これが手順です。初めのうちはなかなか吐くまでに勇気が要りますが、そこは回数をこなしていくうちに慣れるので安心してください。
これで周囲に迷惑をかけることなく、無事に新年会シーズンを乗り切りましょう!!
というわけで皆様、良いお年を。
実を言うと、ここはネギま!ブログらしくネギま!の記事を書いて1年の締めくくりとしようと思っていたのですが、時間の都合上どうしても書ききれませんでした。冬コミオフのレポなんてまだ構想すら練ってないし、ここはどうしたものか・・・・・・
じゃあ代わりといっては何ですが、ネギま!記事とは全く関係ないことですが、これから新年会が続くシーズンにおいて欠かせない酒の席で使える便利なことを教えちゃいます。
その便利なこととはズバリ「好きなときに吐く方法」です!!
大勢で楽しくお酒を飲むことは結構なことですが、あまりにも度が過ぎて誰かに抱えられながら帰宅するというのは恥ずかしいものです。だからなるべくそういうことは未然に防止したいものですよね?
そのためにはお酒を飲んでる途中に「ちょっと気持ち悪くなったな・・・飲み過ぎたかな・・・」という時点で一旦体内のアルコールを外に出してしまえばいいのです。気持ち悪いというのは、胃や肝臓がアルコールを消化しきれないと悲鳴を上げているからです。
ちょっとトイレに行くふりをして、思いっ切りトイレでオエ~っと吐いて、何気ない顔で戻ってくる。これなら周りの人にも迷惑をかけずに済みます。恥ずかしい思いもしません。
ではその「好きなときに吐く」方法を順を追って説明していきます。これは私が大学生活4年間で体得したものですから間違いはありません。ちゃんと順序を守ってくださいね。
<手順>
①事前に水かお茶を300~500mlくらい一気飲みする。胃の中の物を流し出しやすくするため。
↓
②急いでトイレに駆け込む。もちろん大の便器の方。
↓
③きちんと中に先客がいないか確認し、施錠をする。
↓
④吐く前にまず便器に対して一礼をする。きちんと指先まで伸ばし、足は45度くらいに開いているのが望ましい。
↓
⑤便器の水面からおおよそ30cmぐらいのところまで顔を近づける
↓
⑥口を大きく開き、舌の奥・咽頭部を指先で軽く突く
↓
⑦最初は「オエッ」という程度で終わるが、これを何回も繰り返す
↓
⑧そのうち段々と胃の内容物が食道を上ってきていることが感覚で分かる。しかしそこで止めてはならない
↓
⑨自分でこれでもかというぐらいに、とどめを刺すつもりでなおも咽頭部を指先で突く
↓
⑩そこまでやれば後は「嘔吐反射」で、自分の意思に関係なく吐く
↓
⑪嘔吐中は呼吸が一切出来ない上に激しく扇動運動するので、とても息苦しくなる。しかしそこはひたすら耐える。長くても十数秒ぐらいだから死にやしない
↓
⑫胃がスッキリしたらちゃんとトイレを流す
↓
⑬そして清々しい気持ちで起立し、再度便器に対して一礼をする
↓
⑭うがい手洗いをした後、自分の席に戻る
これが手順です。初めのうちはなかなか吐くまでに勇気が要りますが、そこは回数をこなしていくうちに慣れるので安心してください。
これで周囲に迷惑をかけることなく、無事に新年会シーズンを乗り切りましょう!!
というわけで皆様、良いお年を。
今更ながら『ネギま!』は面白いマンガだなぁと、各所のネギま!サイトさんを巡回しながらそう思います。最近の動向を見てみると、明らかに以前よりももっと『ネギま!』を深く掘り下げてみようと試みるサイトさんが増加しており、中には各所で絶賛されるほど興味深い考察記事が掲載されることも多くなりました。
元々『ネギま!』が奥深いマンガとして出来上がっているものなのか、それとも読者がサイトやブログに載せる記事を書くために入念に考察した結果として奥深いものになってしまっているのか、そのあたりは自分でも分かりかねる部分があります。が、それはさておいてもどれだけ『ネギま!』が数多くの読者に愛されているのか窺い知ることができましょう。
私も今までにいくつもの記事は書いてきて、最も難しいと思ったことは「根拠」を見つけ出すことでした。根拠がなければ何を言おうが書こうが推測の域を脱することはできません。それがおふざけ半分に書いたものであっても、まともな推測を述べるものであっても同じことです。
そして大事なのは、その根拠は一般的な常識と作品中の既存の設定にのみ求めなければならないということです。つまり、考察する際、筆者はこの2つによってのみ拘束されながら記事を書かなければならないと私は考えています。
特に重要なのは後者の方です。『作品中の既存の設定』とはどういうことかというと、読んで字の如くという感もしますが、作中で明らかにされた確固たる事実・設定を意味します。『ネギま!』で例えれば、世界に魔法というものが存在していてその魔法の存在は一部の人間にしか知られていないこととか、ゆーなはお父さんが好きであるとか、挙げようとすれば枚挙に遑がありません。「超神水が紙パックのジュースとして売られている」ということでも同様ですね。
ここで気を付けたいのは、記事を書く人が考察する対象はあくまで現実世界から乖離したフィクションの世界であり、その点頭の中でしっかりとそれぞれの世界における確固たる事実を切り分けて考えなければならないということです。また例を出しますが、私たちの世界にある歴史の教科書では「ナポレオン1世がヨーロッパを征服した」ということは書いてありますが、『ネギま!』の世界ではそれは果たして通用するのかどうか。確証はどこにもありません。これは少々大袈裟かもしれませんが、そもそもナポレオンという人物が存在していたかどうかすら私たちには分からないのです。そこに私たちがより深い考察記事を仕立て上げようと、私たちの現実世界のディープなまでの歴史的事実などを盛り込むのは決して好ましいことではない。基準はあくまでフィクションの世界なのです。
しかしここで難しい問題が現れてきます。
厳密に作品中の既存の事実・設定によってのみ拘束されなければならないのであれば、考察記事を書こうにも著しくその自由度を狭めてしまうのは火を見るよりも明らかです。そこで私たちがおよそ常識的に認識している事実を考察に盛り込むことを容認する必要性が出てきます。
ところが考察に盛り込む際にどこまでが許容される範囲であって、どこからがそうでないのか――その明確な境界線を引くだけの定義付けが極めて困難なのです。私自身もその定義づけの理論が完成しているわけではなく、その点は『およそ常識的な範囲だったら可じゃないか』などと具体性に欠けて考えていることは否めません。
これは『ネギま!』に限ったことではありません。どんなフィクションの世界であっても同様のことがいえると思います。しかしながら、その考察に反映させることが可能な範囲の定義づけということが、これまでにあまり論じられていなかったようにも思えるのです。
なお、私は過度に私たちの常識を超えた事実を反映させた記事を書くこと自体を否定することはしません。書くこと自体は自由だし、それによって当該作品を新たな視点で見たり読んだりできるようになるのであれば楽しみも増えるというものです。また、「実は『魔法先生ネギま!』はとある少年の夢オチで終わる」などといきなり身も蓋もないことを書くのもいいかもしれません(そんなこと書く人はいないと思いますが)。
但しそういった『過度に私たちの常識を超えた事実を反映させた記事』や『根拠に欠ける記事』は決して考察記事とはなり得ません。ましてや筆者がそういう記事を毅然たる態度で、あたかも(フィクションの世界の話なのに)フィクションの世界の中に勝手にそれが事実であるかのように考察記事として掲載しているのであれば、それは筆者自身の勘違いに他なりません。
考察記事を書くのであれば、極力根拠を作中に求めるということを私たちは肝に銘じておかなければならないと思います。または『実はこうなんじゃないの?』という様々な可能性・推測を提唱する形で記事を書く。どちらにせよ楽しんで書き、楽しんで読むということは忘れないようにしたいものです。
以前更新した記事の『楓は胸が大きいから強い』ということも既存の設定の範囲内で突き詰めた結果、そういう結論にたどり着いただけのことなんです。言い訳っぽいですが、念のため^^;
元々『ネギま!』が奥深いマンガとして出来上がっているものなのか、それとも読者がサイトやブログに載せる記事を書くために入念に考察した結果として奥深いものになってしまっているのか、そのあたりは自分でも分かりかねる部分があります。が、それはさておいてもどれだけ『ネギま!』が数多くの読者に愛されているのか窺い知ることができましょう。
私も今までにいくつもの記事は書いてきて、最も難しいと思ったことは「根拠」を見つけ出すことでした。根拠がなければ何を言おうが書こうが推測の域を脱することはできません。それがおふざけ半分に書いたものであっても、まともな推測を述べるものであっても同じことです。
そして大事なのは、その根拠は一般的な常識と作品中の既存の設定にのみ求めなければならないということです。つまり、考察する際、筆者はこの2つによってのみ拘束されながら記事を書かなければならないと私は考えています。
特に重要なのは後者の方です。『作品中の既存の設定』とはどういうことかというと、読んで字の如くという感もしますが、作中で明らかにされた確固たる事実・設定を意味します。『ネギま!』で例えれば、世界に魔法というものが存在していてその魔法の存在は一部の人間にしか知られていないこととか、ゆーなはお父さんが好きであるとか、挙げようとすれば枚挙に遑がありません。「超神水が紙パックのジュースとして売られている」ということでも同様ですね。
ここで気を付けたいのは、記事を書く人が考察する対象はあくまで現実世界から乖離したフィクションの世界であり、その点頭の中でしっかりとそれぞれの世界における確固たる事実を切り分けて考えなければならないということです。また例を出しますが、私たちの世界にある歴史の教科書では「ナポレオン1世がヨーロッパを征服した」ということは書いてありますが、『ネギま!』の世界ではそれは果たして通用するのかどうか。確証はどこにもありません。これは少々大袈裟かもしれませんが、そもそもナポレオンという人物が存在していたかどうかすら私たちには分からないのです。そこに私たちがより深い考察記事を仕立て上げようと、私たちの現実世界のディープなまでの歴史的事実などを盛り込むのは決して好ましいことではない。基準はあくまでフィクションの世界なのです。
しかしここで難しい問題が現れてきます。
厳密に作品中の既存の事実・設定によってのみ拘束されなければならないのであれば、考察記事を書こうにも著しくその自由度を狭めてしまうのは火を見るよりも明らかです。そこで私たちがおよそ常識的に認識している事実を考察に盛り込むことを容認する必要性が出てきます。
ところが考察に盛り込む際にどこまでが許容される範囲であって、どこからがそうでないのか――その明確な境界線を引くだけの定義付けが極めて困難なのです。私自身もその定義づけの理論が完成しているわけではなく、その点は『およそ常識的な範囲だったら可じゃないか』などと具体性に欠けて考えていることは否めません。
これは『ネギま!』に限ったことではありません。どんなフィクションの世界であっても同様のことがいえると思います。しかしながら、その考察に反映させることが可能な範囲の定義づけということが、これまでにあまり論じられていなかったようにも思えるのです。
なお、私は過度に私たちの常識を超えた事実を反映させた記事を書くこと自体を否定することはしません。書くこと自体は自由だし、それによって当該作品を新たな視点で見たり読んだりできるようになるのであれば楽しみも増えるというものです。また、「実は『魔法先生ネギま!』はとある少年の夢オチで終わる」などといきなり身も蓋もないことを書くのもいいかもしれません(そんなこと書く人はいないと思いますが)。
但しそういった『過度に私たちの常識を超えた事実を反映させた記事』や『根拠に欠ける記事』は決して考察記事とはなり得ません。ましてや筆者がそういう記事を毅然たる態度で、あたかも(フィクションの世界の話なのに)フィクションの世界の中に勝手にそれが事実であるかのように考察記事として掲載しているのであれば、それは筆者自身の勘違いに他なりません。
考察記事を書くのであれば、極力根拠を作中に求めるということを私たちは肝に銘じておかなければならないと思います。または『実はこうなんじゃないの?』という様々な可能性・推測を提唱する形で記事を書く。どちらにせよ楽しんで書き、楽しんで読むということは忘れないようにしたいものです。
以前更新した記事の『楓は胸が大きいから強い』ということも既存の設定の範囲内で突き詰めた結果、そういう結論にたどり着いただけのことなんです。言い訳っぽいですが、念のため^^;